カフェの扉が鈴の音と一緒に
外へ向かい開いた瞬間、思わず走りよった。
『ふーちゃん!?』
私は、彼女に会うのは初めてだったけれど、彼女のことをよく知っている。
ふーちゃんこと、「冨永房枝さん」は、私の人生に間接的に大きく影響を与えた人物だ。
生まれて半年後、風邪の高熱が原因で『脳性小児麻痺による体幹の機能障害になり、
4歳の頃には、足で悪戯激しく何でも壊す子に成長。
彼女は、 障害のため、両手が使えず、自然に足を使うようになったという。
4歳で、足指を使い簡単な童謡曲などを弾くようになったのも、ごく自然にだった。
著書に詩集「女の子のとき」がある。ふーちゃんが20代のときの詩集だ。
私が“ふーちゃん”の名前を知ったのは、中学生の頃だった。
担任の先生がふーちゃんの居た養護学校に勤務していた頃の話を、何とも楽しげに、何度も何度も話してくれたのを、昨日のことの様に思い出す。
クラスの男子から『高山が配った牛乳は飲むなよ』と結構な扱いを受けていた私を先生は、
生きやすい場所へと引っ張り上げてくれた人だった。
ハチャメチャで、変わった人だったが
私は、先生が大好きだった。
大好きな先生から聞く、ふーちゃんの話も大好きだった。
先生のお葬式に行ったのは
21歳の時だった。
死にたくて、お風呂場でカミソリを手首にあてていた中学生の私を助けてくれた先生は
あっという間に、この世から
姿を消してしまった。
『◯◯先生のこと!知ってますよね⁉︎』
カフェの入り口で、声をかけた私にニコニコと笑顔をプレゼントしてくれた
“ふーちゃん”から
『知ってるよ!』と元気のいい返事が帰ってきた。
いつも生徒を驚かせる様なことばかりしていた先生が、大きな目でこちらを見ながら、『どうだ、驚いたか高山?』隣で見ている気がしてならなかった。
ふーちゃんと、会って話したのは
初めてなのに、先生の話をしていたら
昔から知っている友人といるような、温かい気持ちに包まれて行った…
一緒に来て下さったふーちゃんの友人、望園さんが
素晴らしい二胡の演奏をカフェで披露してくれると、ごちゃまぜカフェの片隅に、中学生の頃の自分と先生が見えた気がした。
人生は、気が付けば
奇跡と不思議の連続なんだと
先生がもう一度、伝えに来てくれたのかもしれない。
ふーちゃん、ありがとう
望園さん、ありがとう
先生、ありがとう