14歳の不登校から始まり、17年間の引きこもり人生を過ごしてきた女性がいま、ごちゃまぜカフェを通じて沢山の『友達』と呼べる人ができ、
ごちゃまぜカフェに集まる不登校の子供達の相談相手となっている。
半年間の間におきた人との『出逢い』が、彼女の人生に大きな変化を生み出した。
彼女からの、10代の引きこもりの学生さん達へ向けたメッセージを、今回はご紹介させていただきます。
このメッセージを通じて、もっと沢山の苦しむ小さなハートに光が届く事を信じています。
ごちゃまぜカフェに行き
「自分は10年以上引きこもりをしてきた者です」と打ち明けたのがきっかけとなり、同じ悩みを持った方々と連絡を取り合うようになった。
14歳から不登校になったが、当時の自分と年の頃が同じ14歳の若者たち。
そしてその親御さんたち。
苦しみの真っ只中にいる子。
あまり苦しいと口には出さず、淋しがっている子。
独自の世界観を確立している子。
10代の彼・彼女らをみていて思う。
すごい才能を持っているし、まだまだ秘めたる力を持っているし、とても真面目に自身の人生と向き合っていると。
今30代になった自分には疑問でならない。
私が引きこもり始めた時代から10年、20年もの時が経っても、今時の若い彼らも変わらず生きづらいのはなぜだろう?
彼らはそんなに多くのものを求めてるわけじゃない。
それほど仰々しく支えがいるわけでもない。
ただ、わかって欲しい。
受け入れて欲しい。
安らぎを得られる居場所が欲しい。
願い続けても得られない心の隙間は、少しずつ少しずつその間隔を広げていく。
なにをもって手遅れというかはわからないけど。
そもそも(年齢は戻せないが)どこからでもやり直せるので、手遅れという概念はないのかもしれないけど。
どうか早いうちに若い皆には、わかって欲しいなと思う。
10代の彼らに足りないものなんてない。
いや、足りなさは誰しも平等にあり、その部分が人より独特の形状をしているに過ぎない。
誰もが足りない部分を誰かの足りているところで補ったり、自分にない部分を尊んだりするものではないのだろうか。
変わらず生きづらいのは、変わらず安息の地がないからだろうか。
または少ないということだろうか。
それでも10代の自分の時代よりはマシだったりするんだろうか…。
みんな、もったいないことをしているなぁと思う。
学校で。
会社で。
社会で。
彼らの才能を引き出してどんどん使ったら、普通では考えられないようなすばらしい化学反応が興こせることだってあるのに。
そういう可能性にかけるのは「リスク」だと思ってしまっている。
そして、可能性の芽を摘んでしまう。
普通のことを普通に出来る「常識的であること」は、そんなに重要なのだろうか?
なにかひとつでも秀でたものがあったら、それだけで充分じゃないだろうか。
10代の彼らも30代の自分も猛獣じゃないので、怖がらないでハブらないで、どうか仲間に入れて欲しい。
いや、猛獣だって安心すれば大人しくなるんだから。
きっと変化が生まれるはずだ。
「変化」の一年。
「変動」の一年。
「変革」の一年。
「一変」した一年。
ごちゃまぜカフェのおかげで、私の生活、気持ち、人生…色々なものが変わった様に。